ショパンがいた頃のワルシャワ 2

キュリー夫人,もとい,マリア・スクウォドフスカ・キュリー。
言わずと知れた偉大な女性科学者。
女性初のノーベル賞受賞者,しかも物理と化学で2度も。
そのキュリー夫人とショパン。
妙に共通点が多いのですよね。
親がどちらも学校教師だったこと。
どちらもワルシャワ出身でその後パリに移ってそこで活躍したこと。
ただ,年代が違う。

ショパンは1810年生まれ,1849年没。
キュリー夫人は1867年生まれ,1934年没。
キュリー夫人が生まれたのはショパンが亡くなってから18年も経ってのこと。
この世での接点はもちろん皆無。
そこで次に考えるのは「親はどうだろうか」
キュリー夫人の父親ヴワディスワフ・スクウォドフスキは中学理科教師でした。
ヴワディスワフ・スクウォドフスキは1832年生まれ,1902年没。
おお? だいぶ近づいてきました。
ただ、生まれたのはキエルツェというポーランドの南部の街。ワルシャワからは遠い。

ショパンは1830年にワルシャワを離れていますが,家族は1881年に最後まで生き延びた
ショパンの妹イザベラが没するまでワルシャワに住み続けました。
ヴワディスワフ・スクウォドフスキを調べてみると,生まれたのはキエルツェ、小学校はウクフ,
高校はシエドルツェ,と地方の街を転々としていたことがわかります。
小中学生が地方の街を転々とする理由は,親の転勤以外には考えにくいです。
そして調べたのです。ヴワディスワフ・スクウォドフスキの親を。
ありがとう,Wikipedia。答えを一発で教えてくれました。
ヴワディスワフの父,ユゼフ・スクウォドフスキ,1804年生まれ,1882年没。
おおお!やっと見つけた1810年生まれのショパンの同世代!

ユゼフ・スクウォドフスキは生まれこそワルシャワから東へ約100kmにあるスクウォディという
広大な畑を持つ農村ですが,高校を卒業するとワルシャワに出てきてワルシャワ大学に入学します。
ワルシャワ大学に入学したのは1823年。
ショパンがワルシャワ高校に入学したのも1823年。
ワルシャワ大学もワルシャワ高校も,同じ敷地内にありました。
なんとなれば,ショパンが住んでいた教職員住宅も同じ敷地内にありました。

驚天動地,狂喜乱舞

次のわたしの好奇心(妄想ともいう)は「ユゼフとショパンの間に共通の知り合いがいなかったか」
ここに全エナジーを注入することになります。

つづく

おまけ:ワルシャワの地図。キュリー夫人の生家からショパンの住んでいたアパートまでの道のり
わたしは旧市街地の細道を突っ切っていたのでもう少しゆっくりだったかも
https://maps.app.goo.gl/uVUpbB1L4vS4KcL46