ショパンがいた頃のワルシャワ

この記事を書きたい,いつか書きたいと思ったのは2010年のことです。
その年はちょうどショパン生誕200周年のお祝いの年。
そしてショパン国際ピアノコンクールが開催される年でもありました。
ワルシャワにとってもショパンにとっても超ビッグイヤー。
その年,わたしは思い切って現地ワルシャワに行ったのです、ショパコンを見に。

ショパンコンクールは約3週間にわたって行われ,3週間まともに滞在したもので,客席に座っている時間以外はざっくばらんに言うと
「ヒマ」でした。
他にすることもなかったので,昼食どき,審査のない日などは,街をそぞろ歩いて時間を潰していました。
ショパコン会場のフィルハーモニーホールから小径を通り抜けてクラクフ郊外通りへ,そこからさらに旧市街地を歩き,王宮,市場広場,そして新市街へ。
あるとき,ある一軒の建物の前でふと足を止めました。
そこは,キュリー夫人博物館。
そう,ショパンだけでなく,キュリー夫人もワルシャワの生まれ,ワルシャワの出身です。

ショパンが住んでいたエリアからキュリー夫人の生家(博物館)まで徒歩約20分。
すごくないですか?
こんな至近距離から,歴史に名を残す偉人が2人も,しかも全く別の分野から輩出されるなんて!

わたしはそれから,暇さえあれば(いくらでもあった)旧市街のショパンの住んでいたアパート(ワルシャワ大学構内)と新市街のキュリー夫人の生家まで歩きました。何往復もしました。途中,有名な市場広場あり,王宮あり,ワルシャワのあらゆる名所が凝縮されたエリアあり,しかしわたしの関心が注がれていたのはただ,この2軒のアパートのみ。

ショパンの父親が高校教師だったことはよく知られています。
キュリー夫人の両親が学校教師だったことも,伝記を読んだことがある方なら知っているでしょう。
同業者ですよ。
この二人の間に何か関係はなかっただろうか?

それがわたしの発想(というよりもはや妄想)の出発点でした。

わたしのこの妄想エネルギーで突き止めたこと,見出したこと,見当違い,その反対の「大当たり」
これをここに書き連ねていきたいと思います。
きっと誰も知らないショパン像がこのブログに現れると思います。
むろん、その途上で出会ったのです,ショパンのピアノメソッドとも。

つづく